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上映レポート

  • アップリンク吉祥寺 3月31日

    アップリング吉祥寺での『パラダイス・ロスト』上映、3月31日。大変な3月でしたが、最後のこの日もお客さんたちを迎えることができて、客席で一緒に見た福間監督が上映後トークを行ないました。

    初めは最後列で見ていた監督、途中から前から三列目の席に。「みなさんへの感謝とともに、出演している人たちへの感謝がこみあげてきて、スクリーンに寄りたくなった。役者さんたちだけでなく、写っている風景やモノにも、ありがたいなという気持ち。自分の好きなものを出して、やってもらいたいことをやってもらっている」。そのことの幸福を思ったそうです。

    「もともと、引き目のショットのあとの、人物への寄りのショットを、機械的にやりたくないという気持ちがある。アクションとしてできているものを、もう一度やってください、というのがイヤなんです」と言い、そういう寄りのショットを撮らないことについて、『秋の理由』で寺島しのぶさんに(悪い意味ではなく)驚かれたというエピソードを紹介。
    「このことについて、今日は自分でひとつ発見がありました。寄りに行かないのは、見ている人が引きのショットのなかにあるもののどれを見つめたいかを、限定してしまわないってことがあると思った。それはぼくの欠点かもしれないけど、人物の顔以外にも、人は見ていたいものがあるはずだと思う。カット割りのしっかりした撮り方は、何を見るかを窮屈に押しつけるという面がある。それを意識しました」。

    そして、お得意の、正面ショットの効用について。
    「正面から人物を撮ったショットは、前後に何を持ってきてもつながる。編集が自由になるんです。とくに好きなのは、ひとりの人物の胸から上をとらえたバストショットです。人を見るときの、いちばん落ち着いた見方だと思うんです」。

    「今朝も、ぼくの映画は難解だという批評を読みましたが、無理に解釈してほしくないってことがある。半熟卵の天ぷらは半熟卵の天ぷら。ヒラカズ先生が劇中で言っているように、『むずかしく考えることはない。この世のおいしいものってこと』なんです。今回は『人を招いてごちそうする』、そんな映画にしたかった。おいしいもの、何回か出てきます。それをそれとして味わってもらえたら、うれしいです」。

    詩と映画の二つをやっていることについて。
    「詩と映画の両方に十代であこがれた。両方をやっている。やれている。幸福なやつだと思うし、そうできるようになんとか切り抜けてきたという思いもある。だいたい、映画やるときは、全体が詩になってくれたらいいと思う。詩を入れていますが、詩が入っているから詩的な映画だというのではなく、映画全体を詩にしたいと願っている。一方、詩を書くときは映画のようになってくれたらいいと思うんです」。
    ジム・ジャームッシュの『パターソン』と石井裕也監督の『夜空はいつでも最高密度の青色だ』について、「大好きな映画だけど、詩が入っているだけで、全体が詩になろうとはしていない。ぼくのやろうとしていることは違うな、と思ってしまいました」。

    福間監督、「今日はこういうことが言いたかった」として、コロナで大変なときでもあることも考慮して、早めに話を打ち切りました。あとで「こういうのを、10分間トークとして、これからもやっていこうかな」と話していました。どうぞ、お楽しみに!

    『パラダイス・ロスト』の上映、さらに続きます。外出がためらわれるような「情勢」にもかかわらず、足を運んでくれるお客さんに支えられています。ありがとうございます。ひきつづき、よろしくお願いします!
    (宣伝スタッフ 吉祥寺の娘)

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