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2020.1.12詩を生き、映画を生きる
〔ノート〕
2019年12月12日にギャラリーSPINORというところで宗近真一郎さんとやった公開トーク「詩と映像のあいだ」(「詩と批評 ポエジーへの応答」 第4回)についてのレポート。「図書新聞」2020年1月25日号に掲載。追いきれなかった「詩と映画のたがいの生成的な関係」というのは、最近見て刺激を受けた二つの作品、ペドロ・コスタ『ヴィタリーナ』とビー・ガン『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』を例にして考えようと思っていたのだが、その余裕がなかった。
(写真は、パラダイス・ロスト・ツアーのボブ・ディランとパティ・スミス)*
あまり「対話」にならなくて申し訳なかったが、個人的なことでもそうじゃないことでも話しながら発見があったと思っている。
まず、個人的な「はじまり」を探ることになった。1960年代、ぼくの小学校六年から大学三年まで。映画や文学よりも、最初に熱中したのはビートルズ以前のポップス音楽。聴いているうちに、その当時のものより少しさかのぼった初期ロックンロールがすごいと思えてきた。プレスリー、もうたいしたことないけど、50年代の彼は最高。そんな意見を吐く、うるさい中学生だ。
学校という「制度」とそのうしろにある社会のインチキさが見えてきて、そういうものから逃れたい不良性の肯定される場所として、映画館の暗闇にも誘われるようになる。ロックンロールからヌーヴェルヴァーグへ。この道筋だったのだと気づいた。
高校時代、映画を見まくった。自分で8ミリ作品も撮り、あこがれの監督のひとりだった若松孝二にも会う。大学に入ると、「革命」の夢とともに、どう生きるのか、この世界をどうしたいのかという倫理の側から、詩がやってきた。ある場面では、映画は快楽、詩は倫理、となった。しかし、この役割分担は固定的なものではなく、そこに「転換」がさまざまに折り込まれていく。
以上が「はじまり」のあらすじ。
その先をどう話したかを書く余裕がなくなった。今日までぼくは「詩を生き、映画を生きる」あるいは「詩と映画を行き来する」という夢を保持してきた。それを可能にしている諸々の事情に感謝しつつ、最後は新作『パラダイス・ロスト』での試みを語った。ジム・ジャームッシュ『パターソン』や石井裕也『夜空は最高密度の青色だ』などの、詩を使った映画の佳作も取り逃がしていると思える、詩と映画のたがいの生成的な関係を十分に追いきれなかったのは残念だ。
宗近さん、会場のみなさん、ありがとうございました。
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